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  In Maienfeld 2018.6
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父の本棚に「弘法大師像 関頑亭の世界」という本がありました。


「脱活乾漆像」

脱活乾漆という仏像の作り方があります。
7世紀後半(約1300年前)に中国から伝来し奈良天平時代に最盛期でしたが、非常に手間がかかる作り方のためその後平安時代以降は衰退しました。
中国では「夾紵」(きょうちょ)と呼ばれます。
器物や棺、彫像などの製作にも用いられました。
脱活乾漆像は、中が空洞なので軽量で寺が火事になっても運び出すのが容易です。

塑像(粘土や石膏を材料として作った像・席頑亭先生の弘法大師像は硬質ウレタンを使用)の表面に漆に浸した麻布をワラビ粉海苔と漆で貼り付ける作業を少なくても10回以上は繰り返し、最終的に1センチほどの厚みに形成します。

硬質ウレタンを削って塑像の芯を作る様子。
 

ウレタンの上に粘土で肉付けしたあと、細部の肉付けをおこなう様子


麻布を貼り付ける作業の三枚目を終えたところで、漆と麻の繊維、惣身粉(ケヤキのノコ屑を焦がした粉末)、自身で集めた「煤」を練り合わせた木屎漆(こくそうるし)で着衣のひだや袴、目鼻などディテールの肉付け作業を行います。
 
 
六枚目を貼り終えたところで、背中の部分(目立たない部分)を切りとって中のウレタンを取り出し、空洞になった像内に木枠の心木を納め、漆が収縮するのを防ぐために像と心木・棚板を釘で固定し、切り出した部分を麻糸で縫合します。
再び麻布と漆を貼り重ねる作業を行います。
完全に乾燥したあとに「漆箔」または「極彩色」を施して完成します。

最初、読み方すらわからなかったけど、読んでるうちにとても興味が出て勉強になりました。

関頑亭先生、20年以上前から父から名前は聞いてた。
有名な人らしいけど、あの頃お寺や仏教に興味はなく、実家は別のもので自分の家庭が全てだった30代。
もっと早くに興味を持つべきだった。
そしたら、いろんな話を聞けたのに。

 
でも。
遅くても知らないままよりもいいと思うようにしてる。

般若心経を覚えました。

32年前に2回目の子宮外妊娠になった時から水子供養をしています。
子供の頃から子供は二人欲しいと思っていた。
望めば二人の子の親になると漠然と思っていた。

子宮外妊娠の破裂をして、2回目また子宮外妊娠になって悲しかったな。。
もうはるか昔のことだけど、人生というものはしっかりを地に足をつけて進まないと取り返しがつかないことになる。
若いときにはわからないもので、大人になっても自分が思うこととする事は必ず一致するわけではない。

32年前から般若心経を覚えようとしながら、真剣に取り組まないまま、全てを暗記することないまま現在に至る。
でも、年末すーっと頭に入り込んできました。
不思議ね。
今まで覚えようと思っても覚えなかったのに。

毎年、ひとりで初詣に参る神社があります。


何十年、何百年と変わらないものの中、私がこの世界に存在するのはわずかな時間。
そして、何千年、何億年と変わらないものの中、この神社が存在するのもわずかな時間。

「存在=無」

色は空と異ならず 空は色と異ならず
色は即ち空であり 空即ち色である

本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。

長く生きてるけど、明確に知らないことがたくさんある。
今回、お釈迦さまや菩薩のこと、知りたいと思ったのでまとめることに。

「釈迦」とは。
仏教を創始したガウタマ=シッダールタという人のことを指します。
2,500年前に現在のネパールのルンビニーという所で、シャカ族の王子として生まれました。
後に出家して仏教を創始するわけですが、釈迦族の王子様だったので釈迦と呼ばれるようになりました。

ガウタマとは最も優れた牛という意味。
牛はインドでは神の乗り物として神聖視されますが、釈迦族では精霊的シンボルとして牛を崇められていたとも推測されます。

「仏陀」とは。
「目覚めた人」「悟りを開いた者」という意味です。
ですから、仏陀とは、個人を指す名称ではなく悟りを得た人たちのことを指します。
しかし、仏陀というと一般的にはガウタマのことを指す場合も多いそうです。

お釈迦様が仏陀(ブッダ)になられたのは、出家されたあと6年の凄まじい苦行をした後、難行苦行では悟ることができないと知って、ナイランジャーナ河「尼連禅河 (にれんぜんが)」で沐浴をし、そこを通りかかった村娘のスジャータに乳粥を頂き元気をとりもどしたあと、ブッダガヤーの菩提樹の木の下で深い瞑想に入り、悟りを開かれたあとからだそうです。

また、仏陀(ブッダ)とは、「三世十方(さんぜじっぽう)」の諸仏も指します。
三世とは過去・現在・未来のことで、十方とはあらゆる方角を指します。
つまり全ての仏様はブッダということになります。
ブッダはその音を漢字に写して仏陀と記します。

仏の像には、如来、観音(菩薩)、明王、天、羅漢、垂迹があります。
 

「如来」とは。
仏(仏陀)の別名。悟りを開いてブッタとなったものだけをいいます。

釈迦如来
ご本尊にされている宗派は、天台宗・臨済宗・曹洞宗。
像には、生誕釈迦像・苦行像・降魔像・涅槃像があり、そのほかに禅定印を結ぶ坐禅姿の定印釈迦像と、説法印や施無畏印と与願印の説法釈迦像があります。
釈迦三尊像は、真ん中に釈迦、両脇に文殊観音と普賢菩薩があります。

阿弥陀如来
ご本尊にされている宗派は、浄土宗、浄土真宗。
阿弥陀如来像の特徴は、親指と他の指を丸めた印にあります。
鎌倉の大仏のように定印か、他は来迎印です。
浄土真宗の寺院の本尊は来迎印の阿弥陀如来立像ですが、浄土宗の本尊は阿弥陀三尊(右に観音・左に勢至菩薩)の立像か坐像が一般です。

薬師如来
薬師如来は大医王仏といわれ、病の苦しみを除いてくれる仏様です。
左手に薬壷を持っているのが特徴で、薬師三尊像の脇は日光菩薩と月光菩薩、または十二神将を率いています。

大日如来
ご本尊にされている宗派は、真言宗。
大日如来は法(ダルマ:真理)を人格化した太陽神ともいえる毘盧遮那如来と同体とされる密教の最高尊。
如来ですが菩薩形で、胎蔵曼荼羅の大日如来は法界定印、金剛界曼荼羅の大日如来は智拳印という印を結んでいます。
なお、密教寺院では大日如来を中心とする五智如来(阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)があります。
 

「明王」とは。
慈悲だけでは目覚めない愚かな凡夫に、仏に代わって怒りの形相を示し、目覚めさせるのが明王です。
仏の化身ともいわれています。
明王には、不動明王、孔雀明王、愛染明王、降三世明王、大威徳明王、軍茶利明王などがあります。
 
「天」とは。
古来インドにあった神様が、仏教が広まるにつれて仏教の守護神とされたのが天です。
梵天、帝釈天、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天))、吉祥天、弁才天(または弁財天)などがあります。
 
「垂迹」(すいじゃく)とは。
仏、菩薩(ぼさつ)が日本の神となる仮の姿のこと。
日本に仏教が伝わったとき、仏が日本の神の姿となりわが国に現れたものとし、神仏を混交することで仏教を受け入れたのが垂迹です。
蔵王権現、八幡大菩薩などがあります。


「羅漢」とは。
阿羅漢の略でサンスクリット語の【アラハット】の音写語。
【尊敬に値する人】の意味で、もとは仏の異名でしたが、のちに釈迦の直弟子たちをいうようになりました。
十六羅漢、五百羅漢などがあります。


「菩薩」とは。
仏(仏陀)に近いモノで、力はあるがあえて仏にならず、衆生の救済にあたるのが菩薩です。
大乗仏教において多くの人々を救済しながらも自らも悟りを得る為に修行している人のことを、菩薩といい、後に人々の信仰の対象となっていきます。  
観世とは、菩薩のひとり、観世菩薩です。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)ともいいます。
お地蔵様は「地蔵菩薩」。
他に、弥勒菩薩、虚空蔵菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、日光菩薩、月光菩薩などがあります。


「大乗仏教」とは。 
釈迦が亡くなって100年ほど経つと仏教は二つに枝分れするようになります。

大乗仏教(もっと悩みをもった大勢の人々を救うべきであるという考え)
上座部仏教(オリジナルの仏教に近い考えで、自分が救われるために修行し悟りを得るというもの)
この大乗仏教が中央アジアから中国、朝鮮半島、そして日本にも伝わってきます。

「出雲七福神御真言」で意味が気になったので調べることに。

御真言(ごしんごん)とは、大日経などの密教経典に由来し真実の言葉という意です。転じて仏の言葉をいいます。
真言は音が重要であることから、翻訳せず音写を用います。
漢訳では呪、明呪と訳されます。
真言は密教成立以前から用いられており、古代インドから効能がある呪文として重視されてきました。
真言を唱えることで、発願を仏に直接働きかけることができるとされています。

空海は、真言について「真言は、不思議なものである。本尊を観想しながら唱えれば無知の闇が除かれる。わずか一字の中に千理を含む。この身のままで真理を悟ることができる。」と記している。
 
 
弁財天
おん そらそばていえい そわか 

大黒天
おん まかきゃらや そわか

恵比寿天
おん いんだらや そわか
インダラヤとはつまりインドラ、蜘蛛の糸、巣のことで衆生一切を救う方便説法にあたるそうで、み仏さまのお慈悲は、蜘蛛の糸以上にかなり深いという意味でしょうか。。と解釈しました。

寿老人
おん ばざら ゆせい そわか 
ばさらとは、(梵)vajraの音写、仏語であり、金剛(金剛石、または金剛杵(しょ))の意である。
 
毘沙門天
おん べいしらまんだや そわか
(oM vaizravaNaaya svaahaa)
ベイシラマンダヤ=ヴィシュラヴァスの御子よ。
ベイシラマンダヤはサンスクリット語で毘沙門天のこと。

布袋尊
おん まいたれいや そわか
マイタレイヤ=弥勒菩薩のこと。弥勒菩薩の梵名が「マイトレーヤ」。
マイトレーヤの意味は「慈から生じたもの」
  
福禄寿
おん まかしリ そわか 
「マハーシュリー」を音訳すると「摩訶室利(まかしり)」
漢訳すると「吉祥天女(きっしょう・てんにょ)」とか、「吉祥功徳天(きっしょう・くどくてん)」となるようです。
 
 
「おん」
聖音:真言の冒頭に用いて帰命の意をあらわす神聖な音で、末尾の「ソワカ」とともに多用される。
サンスクリット語の「oṃ」、漢訳では「唵」と、書かれる。密教系では「オン」、禅宗では「エン」と読まれることが多い。

「そわか」
聖音:真言・陀羅尼の末尾に置いて成就を願う聖語で、和訳では「成就あれ」「畏み申しあげる」等の意味とされる。
サンスクリット語の「svāhā」、漢訳では「薩婆訶」、「娑婆訶」「莎訶」等と書かれる。
密教系では「ソワカ」、禅宗系では「ソモコ」と読まれることが多い。
もとは、火の神アグニに恋をして、その愛が受け入れられずに死んだ「スヴァーハー」という天女の名前です。
バラモンが、儀式のとき(火を使うからアグニを呼ぶ)一緒にいられるようにしてあげようとその名を呼ぶようにしたということです。

今、ご真言とか仏教とかにはまってる。

わたし、もうすぐ出家するかも(笑)

ちなみにご真言の意味は私が独自に解釈して書いているので、正確なものとは少し違うかもしれません。
ご承知おきください。

20年前、出雲大社にお参りした時、出雲七福神巡りをしたんだけど回っていない神様がいました。
どの神様をまわったかすら覚えてないんだけど、きれいにまわりたいなって思って島根トリップを計画。
今回、七福神巡りできて、とってもハッピーでした❤


【七福神とは】
七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称です。
室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。


『弁財天』
インドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。
弁財天は、七福神の中で、唯一の女神で、元はインド河(水)の神であったが、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となり弁才天と呼ばれ、財宝を授けてくださる神へとなったものである。
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれている。

『毘沙門天 』
元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。
武将の姿をしていて、右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけている。
四天王の一仏で、別名「多聞天」。 戦いの神であったが、七福神では、融通招福の神として信仰されている。

『大黒天 』
インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神。
大きな袋を背負い、打出小槌をもち、頭巾をかぶられた姿、財宝、福徳開運の神様として信仰されています。
大自在天の化身ともいわれ、大国主命と神仏習合したものである。
一度仏となったが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたという説も。

『恵比寿天 』
七福神中で唯一の日本の神様。
左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。
イザナミイザナギの間に生まれた子供「蛭子」(ヒルコ)もしくは大国主の息子である「事代主」(コトシロヌシ)などを祀ったもので、時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神となった。

『寿老人』
中国、道教の神で南極星の化身。にこやかな微笑みをたたえ、手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿が一般的に知られている。
団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴である。
長寿延命、富貴長寿の神として信仰されている。
日本の七福神の一人としては白鬚明神とされることもある。

『福禄寿』(ふくろくじゅ) 
中国、道教の神で南極星の化身。中国の村や町に住み、人々の信仰を集めたといわれる仙人である。
長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢 千歳という。長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴である。
寿老人と同一神とされることもある。長寿と福禄をもたらす。
幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の三文字からなり、中国、道教の長寿神。招徳人望の神様として信仰されている。

『布袋尊』
唐の末期の明州に実在したといわれる仏教の禅僧。
その太っておおらかな風貌が好まれ、笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚い。
弥勒菩薩の化身といわれ、いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたという。
 
幸福を招くといわれている七福神の信仰は、室町時代末期、庶民の間に定着していたそうです。
一般に『仁王経』の「七難即滅七福即生」の説に基(もと)づくといわれます。
七福とは「律儀」「福」「威光」「愛嬌」「大量」「人望」「寿命」

よい初夢をみるために七福神の乗った宝船を描いた絵を枕の下に敷いて眠るという風習は、現在まで引き継がれています。
七福神を参拝すると「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。