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父の本棚に「弘法大師像 関頑亭の世界」という本がありました。
「脱活乾漆像」
脱活乾漆という仏像の作り方があります。
7世紀後半(約1300年前)に中国から伝来し奈良天平時代に最盛期でしたが、非常に手間がかかる作り方のためその後平安時代以降は衰退しました。
中国では「夾紵」(きょうちょ)と呼ばれます。
器物や棺、彫像などの製作にも用いられました。
脱活乾漆像は、中が空洞なので軽量で寺が火事になっても運び出すのが容易です。
塑像(粘土や石膏を材料として作った像・席頑亭先生の弘法大師像は硬質ウレタンを使用)の表面に漆に浸した麻布をワラビ粉海苔と漆で貼り付ける作業を少なくても10回以上は繰り返し、最終的に1センチほどの厚みに形成します。
硬質ウレタンを削って塑像の芯を作る様子。
ウレタンの上に粘土で肉付けしたあと、細部の肉付けをおこなう様子
麻布を貼り付ける作業の三枚目を終えたところで、漆と麻の繊維、惣身粉(ケヤキのノコ屑を焦がした粉末)、自身で集めた「煤」を練り合わせた木屎漆(こくそうるし)で着衣のひだや袴、目鼻などディテールの肉付け作業を行います。
六枚目を貼り終えたところで、背中の部分(目立たない部分)を切りとって中のウレタンを取り出し、空洞になった像内に木枠の心木を納め、漆が収縮するのを防ぐために像と心木・棚板を釘で固定し、切り出した部分を麻糸で縫合します。
再び麻布と漆を貼り重ねる作業を行います。
完全に乾燥したあとに「漆箔」または「極彩色」を施して完成します。
最初、読み方すらわからなかったけど、読んでるうちにとても興味が出て勉強になりました。
関頑亭先生、20年以上前から父から名前は聞いてた。
有名な人らしいけど、あの頃お寺や仏教に興味はなく、実家は別のもので自分の家庭が全てだった30代。
もっと早くに興味を持つべきだった。
そしたら、いろんな話を聞けたのに。
でも。
遅くても知らないままよりもいいと思うようにしてる。
「脱活乾漆像」
脱活乾漆という仏像の作り方があります。
7世紀後半(約1300年前)に中国から伝来し奈良天平時代に最盛期でしたが、非常に手間がかかる作り方のためその後平安時代以降は衰退しました。
中国では「夾紵」(きょうちょ)と呼ばれます。
器物や棺、彫像などの製作にも用いられました。
脱活乾漆像は、中が空洞なので軽量で寺が火事になっても運び出すのが容易です。
塑像(粘土や石膏を材料として作った像・席頑亭先生の弘法大師像は硬質ウレタンを使用)の表面に漆に浸した麻布をワラビ粉海苔と漆で貼り付ける作業を少なくても10回以上は繰り返し、最終的に1センチほどの厚みに形成します。
硬質ウレタンを削って塑像の芯を作る様子。
ウレタンの上に粘土で肉付けしたあと、細部の肉付けをおこなう様子
麻布を貼り付ける作業の三枚目を終えたところで、漆と麻の繊維、惣身粉(ケヤキのノコ屑を焦がした粉末)、自身で集めた「煤」を練り合わせた木屎漆(こくそうるし)で着衣のひだや袴、目鼻などディテールの肉付け作業を行います。
六枚目を貼り終えたところで、背中の部分(目立たない部分)を切りとって中のウレタンを取り出し、空洞になった像内に木枠の心木を納め、漆が収縮するのを防ぐために像と心木・棚板を釘で固定し、切り出した部分を麻糸で縫合します。
再び麻布と漆を貼り重ねる作業を行います。
完全に乾燥したあとに「漆箔」または「極彩色」を施して完成します。
最初、読み方すらわからなかったけど、読んでるうちにとても興味が出て勉強になりました。
関頑亭先生、20年以上前から父から名前は聞いてた。
有名な人らしいけど、あの頃お寺や仏教に興味はなく、実家は別のもので自分の家庭が全てだった30代。
もっと早くに興味を持つべきだった。
そしたら、いろんな話を聞けたのに。
でも。
遅くても知らないままよりもいいと思うようにしてる。
父はとても記憶力が良い人で脳ミソの記憶をつかさどる部分は現役学生に劣らなくて、九大、早稲田の姪からも敬慕されていた。
20代の頃、観光バスの運転手をしてた頃に知った各地方の歴史からそのころ住んでいた土地の歴史の記憶を何年何月まで説明できて、現代の時事まで恐ろしく詳しかった。
どうして私はその部分を受け継いでないの? 笑
教えて、お父さん (^^♪
って言ったら「あんたは凡人たい」って言いそうだな。笑いながら。
どうして私はその部分を受け継いでないの? 笑
教えて、お父さん (^^♪
って言ったら「あんたは凡人たい」って言いそうだな。笑いながら。
関頑亭先生の話もいろいろ聞けたのに。
何も話さないまま旅立ってしまった。
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